2006年8月28日 (月)

愚妻の業者選び

もう昨日のことになるが、隣の隣の市の業者との打ち合わせの話。

二時間半にも及ぶ愚妻と担当者の論戦の間、私はほとんど二人の子供の相手をしていたので、あまり話を聞けていなかったのだが、なかなか白熱していたようである。

基本的に担当者は、本音では「こんなややこしい人の工事を請け負うと、工事中や工事後にもいろいろ言われそうだから、別に引き受けなくてもいいや」と思っているのだろう。
捨て身で「プロとしての考え方は…」という表現を多く使いながら、妻の要望と真っ向から対立する意見を時折述べていたように思う。

これが、意外と妻にとっては悪くないらしい。
隣の市の業者はわがままな要望を苦心して取り入れ、また懇切丁寧に説明してくれた。
だがそれは逆に言うと、施主の言うことなら、納得いかないことでも、プロとしてのプライドを捨てて取り入れるということになるのかもしれない。

一見、妻にとっては何でも言うことを聞いてくれる業者の方が良さそうだが、そこが彼女のわがままレベルの高さである。

彼女の、自分の要望を聞いてほしいという気持ちは無論強いわけだが、だからといって、ただ何でもほいほいと聞いてくれればいいというわけではなく、自分達の考え方はこうだから、やめておいた方がいいと思いますよ、これまで多くの工事をしてきた経験から我々はこんなふうに思いますよ、と言ってくれた方が、彼女には有り難いらしい。

一体どないせえっちゅうねんという感じだが、彼女のわがままの奥行きの深さをご理解いただけるだろうか?

考えてみると彼女は、家を建てる工務店を決める時も、「うちで是非建ててください!お安くしますよ!ご要望は聞きますよ!」と擦り寄ってくるところではなく、寧ろ「建ててくれてもくれなくてもいいですよ。まぁ、うちで良ければどうぞ」という姿勢のところを選んでいる。その工務店とも、打ち合わせの時、そして建て始めてから、どれだけやり合ったか。

自分にとっていい物を手に入れるために、努力する姿勢。これだけは感心する。
私なんかより、余程物事に対して流されることなく、主体的に選択をしている感じがする。

さて、気の毒なのは隣の隣の市の業者である。
プロ意識を持って、愚妻のわがままを時には聞き入れ、時には受け流しながら、頑張ってもらいたい。
私もたまに「この人と付き合うの、大変でしょう。私も大概やられてまして」とか言って励ましてあげるというか、苦労を少しだけ分かち合おうと思う。

あ、まだ契約したわけではないけどね。

2006年8月27日 (日)

どうなる愚妻の構想

我が家の外回りの工事について、ほんの少し進展があった。

先日書いた、隣の市の業者と2回目の打ち合わせを行ったのである。

愚妻のわがままな要望を聞いて、果たしてどんなものができあがってくるかと思いきや。

この業者は若い人が多いようだが、その分誠実に仕事をしようという気持ちがとても伝わってくる。妻の要望を細かいところまで取り入れて、できる限り希望に近い形を彼らなりに手間暇かけて作ってくれたのではないかと思う。資料もきちんとしていて、カラーで3Dの図もあり、見積もりも細かく出してくれていた。これは何でこうなってるの?と聞けば、理由もきっちりと説明してくれた。私としてはかなり感心した。

費用は当然、とてもここには書けないくらい高かったので、削れるところは削って、何とか費用を抑えていこうという話で今回は終わった。

妻はその後、ずっと悩んでいる。

何を悩んでいるのか?

何と、もっと前に打ち合わせをしてみたものの、妻の構想に着いて行けず、逃げ出してしまった業者のデザインの方が、妻としては好みだったのである。

そしてついに、久しぶりにそちらの業者(隣の隣の市にある)に連絡を取った。そして急遽明日、もう一度打ち合わせをすることになったのである。

妻が電話をしたのだが、最後に担当者に何と言われたか?

「お手柔らかにお願いします」

だって…。

かなり恐れられているようだ。

ところで、そのように何社かと打ち合わせをしてみて思ったのだが、角地というのはどうしようもなく使い勝手の悪い土地である。自分で言うのも何だが、うちくらい広くても角地をうまく使いこなすのは難しい。これだけ広ければ何でもできそうだという欲があるからかもしれないが。

一見、見晴らしや日当たりが良くて人気もあり、値段も高いのが角地なのだが、外構工事をしようと思うと、駐車場の位置から悩まなくてはならない。うちの場合は道路との高低差や家の位置の関係もあり、ほぼ南側しか無理なのだが、それでも
どういう向きにするかとかでそれぞれ利点・欠点がある。さらに愚妻は「部屋からガレージが見えるのは嫌」等とわがままを言い出すので、余計に収拾がつかない。

角地の角に当たる部分も、使い道の見つけにくい部分である。当然、デッドスペースになってしまったとしても、そこも坪いくらかの金を出しているのだから、勿体ないことこの上ない。

車を出し入れする時も、角地は結構危険である。近づいてくる他の車があっても、互いに見えにくい。

これだったら、よその家に囲まれていた方がどれだけ楽か。門の向きも駐車場の向きも選択肢は一つしかあり得ない。値段も安いし、うまくいけば塀もほとんど作らなくて済む。

今後家を建てる人には、「角地はやめとき」と言おうと思う。

2006年8月24日 (木)

愚妻の料理教室通い

今さら言うのも何だが、愚妻は料理が得意ではない。そもそも家事全般が得意ではないのだが。

それでも料理上手の母親(彼女の実母)から学ぼうと、以前からよく電話で料理の仕方を聞いたりしていた。
しかし、聞いたことをすぐに忘れてしまうし、メモをしてもその紙がどこかに行ってしまうので、同じ料理の仕方を何度も聞いたりして、ひんしゅくを買っている。

はっきり言えば、料理自体は私の方が上手なのではないかと思うくらいである。私は野菜を切ったりするのはのろいし、全体の段取りはあまり良くないが、妻からは大体「美味しい」と言ってもらえるものができる。

以前、勤務時間中に携帯が鳴り、何かと思えば妻が「春雨スープってどうやって作るんだっけ?」と聞いてきたこともあった。あれにはさすがに驚いた。

仕事をしている夫に、料理の仕方を質問する妻。

どう考えてもおかしな図である。

さて、そんな愚妻が最近凝っているのが料理教室である。

例によって市報などをめくって、よさそうな料理教室を見つけては、友達と出かけている。

先日も料理教室に行くと言うので、今回は何を作るのか聞いた。すると、

「何やったかな。え~っと、冷しゃぶサラダやったかな?」

はぁ?

冷しゃぶサラダって、野菜を切って肉をしゃぶしゃぶしたらほぼ完成だと思いますが?
そんなものをわざわざ料理教室で学ぶと? これで市販のドレッシング使ってたらボッタクリでしょう。

「いや、他にも作るから。何か忘れたけど」

と、まあ非常に頼りない。

あとでわかったが、実際は冷しゃぶと野菜を冷やし素麺にのせるというものなどを作ったらしい。
うちで少しアレンジして、肉を焼いてのせてみたやつは、確かにアイディアとしては良かった。

料理を教えてもらってくる以上、そこで得たものを披露してもらいたいと思うのが人情である。
しかし今のところ、料理教室で習ったもので披露されたのは、上の素麺だけである。

本人が「むっちゃ美味しかった」という春巻きの方も早く披露してもらいたいものである。

2006年8月21日 (月)

失脚できるだけマシ?

先週の金曜日から、一家で私の実家に帰省していて、今日戻ってきた。

愚妻は「気疲れした~」と言っていたが、端から見ると普段よりは楽だったのではないかと思える。
食事の心配はしなくていいし、おじいちゃんおばあちゃんが子供たちと遊んでくれるし。
ま、うちの親には(当然だが)私に対してよりは気を遣ってくれているようなので、そういうことにしておこう。

ところで、先月の飲み会でカラオケに行った時に、みんなで歌ったさだまさしメドレーが忘れられず、先日さだまさしベストを借りてしまった私である。

愚妻は「関白宣言は知ってるけど、関白失脚なんて知らない」と言うので、帰りの車で聴かせてやった。

さて、感想は?

「いまいちやね」

なんで?

「この人、生ゴミ捨てに行かされてるだけやん」

いや、昨日のカレーをポチと二人でチンして食べてるけど?

「カレーがあったんだからいいじゃない。あんたなんか食事一緒に作らされてるんやで。この人はまだまだやられ方が足りない。失脚というほどのもんではないね」

う~む。確かに、この人はパパみたいになってはダメよとか言われてるけど、基本的に家事をしているわけではないようである。

何せ、夕食がないということは夜帰るのが遅いということで、
夜が遅いということはそれまで仕事に集中することができているわけで、強制的に早く帰らされ、家事・育児の後、夜中に家で残業している私よりも楽をしているのではないか!

これまでは何となく、この人物は関白を失脚した気の毒な人だと思っていたのだが、実は歌の登場人物よりも自分の方が気の毒だったらしい。

これは新しい発見である。

ということは当然、私の経験は歌の題材になるということだ。

誰か、作って。

タイトルは、「女帝君臨」とか「妻への人権宣言~俺にも人権はある~」とかどうでしょう。

あ、一応確認しておくと、関白失脚は単なる気の毒な男の歌ではなく、関白宣言のパロディないし正反対の歌のようで、
実は家族愛を歌っている名曲であるということは…みんな知ってるわなぁ。
なお、こんな愚妻でも関白宣言の方は名曲と認めているらしい。

2006年8月17日 (木)

愚妻の話ではありません

今日は、珍しく愚妻以外に物申す。

ターゲットは教育委員会。
何せ小心者なもので、直接よう言わんからここに書くという点では、愚妻に対してと同じか。

今年は教職10年目ということで、たくさん研修に行かされている。面白くてためになるものもあれば、某市の教育長の話のようにしょうもないものもある。

しかし、問題は研修の内容ではなく、教育委員会の職員の態度である。

一つは、ある研修の講師(正確に言えばパネラー)の一人が発言の中で、「目から鱗が落ちる」という表現を使ったこと(それ自体私の記憶には残っていなかったが)に対して、最後の挨拶の時に職員が、「身体の一部を示す語句を使って否定的な表現をすることであり、不適切であったが、差別的な意図はないであろう」と注釈したことである。

私も学生の時から人権とか差別問題についてそれなりに学んできたつもりだったが、「目から鱗が落ちる」が差別表現だとは
聞いたことがなかったのでビックリした。後で調べたが、やはりそんな認識を持っている人はほとんどいなさそうである。

一体誰からの抗議をおそれて、教育委員会に鉾先が向かないように用心しているのか。
職員のこのコメントは、むしろ「目から鱗が落ちる」を使ったパネラーの名誉を傷つけていると思う。
こんなことでは誰も講師を引き受けてくれなくなるぞ。研修がなくなるならそれでもいいけど。

もう一つは、提携している大学で行われたコンピュータ研修でのできごとである。講師は大学の先生、内容はExcelのマクロについてであったが、例として成績処理の方法を取り上げていた。
確かに、学校の仕事でExcelを使うといえば真っ先に成績処理が思い浮かぶ。

ところが、講師の先生は研修の冒頭と最後に、「成績処理にコンピュータを使用することはできる限り避けるようにというお話があるので、題材としては不適切なんですが、一つの例ということでご理解ください」と言われた。

これは、どう考えてもその先生の意見ではない。その先生は、「学校の先生がExcel勉強するなら、成績処理を例にすればとっつきやすいだろう」ということで、好意でその題材を取り上げてくれたに違いないのである。

じゃあ「成績処理にコンピュータを使ってはならん」などとわけのわからんことを言っているのは誰か? せっかく適切な題材で研修の中身を考えてくれた先生にそんなことを言わせているのは誰か?

言うまでもない。

現場ではみんな成績処理にコンピュータを使っていることを知っているくせに、個人情報が流出したりした時に「コンピュータは使うなって言ってたんですけどねえ」と責任逃れをしたい人たちに決まっている。

それならこんな研修意味ないからやめろと言いたい。よう言わんけど。

二つのできごとはどちらも、教育委員会の無責任体質、何かあっても私らのせいではありませんよというふうに持っていきたい魂胆をよく表していると思う。そのためなら外部講師に失礼なことをしても平気だし、非現実的なことをこれまた平気で言う。まあ何かあった時も我々現場の者を守る気などさらさらないのだろう。そういうことがハッキリとわかった研修であった。

非常に勉強になった。
しかし、これでいいのか?

以上のような話を愚妻に話したら、

「じゃあ、こんなところでそんな話するんじゃなくて、教育委員会に行って改革すれば」

と言われた。

無理っしょ。

小心者だし。

2006年8月16日 (水)

鬼の霍乱

一応お盆休みということで、最近は家に居る。というより、居させられている。保育所も休みなので、仕方がないと言えばそれまでである。

しかし、毎日命ぜられるままに食事を作ったり布団を干したり子供のオムツを替えたり。こうなるとこちらもさすがにストレスがたまってくる。

そこで。

「長男を連れて学校へ行ってもいいかな?」

と言ってみる。保育所が休みである以上、子供二人を押しつけて自分だけが出かけるのはいくら何でもひどいので、長男を連れて行くと。でも散歩は暑いし、ゲーセンとか行ったら怒られるので、学校くらいしか逃げ場がないではないか、ということである。

めでたく許可が出た。これで愚妻の支配から一時的に逃れることができる。

ところが当日の朝。

妻が偏頭痛がすると言い出した。まったく起きられないらしい。本来なら長男の朝食など出かける準備だけすればいいはずが、次男の世話まで済ませてから出かけなくてはならなくなってしまった。これで出発が遅くなった。

それでもどうにか学校に行き、長男を多くの先生に構ってもらいながら机の整理などをして過ごす。

昼前、妻から電話。

どうにもならんくらいしんどいので、帰って来いと。

結局学校にいたのは一時間半くらいか。出勤のハンコを押すのも憚られて、休暇ということにした。

帰ってからは、当然のように子供二人の世話を一手に引き受ける。

それでも、寝てる妻は掃除をしろとか洗濯をしろとか言わないので、ある意味マシかもしれない。ただし、足裏マッサージをしろとか肩をもんでくれとかはうるさく言うが。

どう転んでも、愚妻の支配からはなかなか逃れられそうにない。

2006年8月11日 (金)

愚妻の三法則

今日は休みを取った。
朝から長男を保育所に送った後、例によってこき使われる。

布団干し、洗濯物干し、掃除、炊事等々いつもの通り。

愚妻が私を働かせる時の言動については、いくつかの法則が発見されている。ここでは、3つの法則を紹介したい。

まず第一に、思いついたらすぐに命令する。

特に料理の手伝いをさせられると、「おかずを温めて」「これに味を付けて」「ナニを冷蔵庫から出して」「生姜の皮を剥いて」等と、矢継ぎ早に命令が出される。一体どれから先にしたらよいのかわからず、混乱するばかりである。本人も思いつきで言ってるだけなので、前にどんな命令をしたのかも覚えていない。

第二に、こちらがやったことについてすぐに不平・不満を言う。

洗濯物の干し方、野菜の切り方、何でも細かいことにケチをつけてくる。こちらがいいと思い込んでいたことが彼女からするとまったくダメだったりするので、細かいことでもいちいち指示を仰ぐようにするしかない。「このタマネギは全部使っていいのか?」「このタオルは八つ手に干すのか、竿に直接干すのか?」「今日長男に着せる服はこれでいいのか?」等々。私も間の悪い人間なので、大体こんな感じでいいかなと自分で判断してやったことは、まず(彼女の判断基準からすると)間違っている。だから、もう自分からは何もせず、言われたことだけを言われたようにやるのがいちばんよい、と思っている。気を利かせて何かをやっても、文句を言われるばかりなので。

第三に、自分が働いている時に他人が休んでいることが許せない。

私はここでよく愚妻への不満を述べているが、彼女はまったく何もしないわけではもちろんなく、それなりに家事はやっているのである。以前にも書いたが、自分が家事をしている時に私がボーッとしていたり、うたた寝をしていたりすると非常に怒る。逆に私が一生懸命働いていて、彼女が休んでいる時には何も思わないようであるが。さらに、私がいつも家にいるわけではない故に、家にいる時こそ働かせてやろう、という魂胆が常に見え見えである。旦那とゴマの油は絞れば絞るほどよく取れる、と言わんばかりである。そうなると私は、たとえ与えられた仕事を早く片付けても休めるわけではなく、どうせ次の仕事を命ぜられるだけなので、テキパキやって早く済ませようという気がまったく起きないのである。だから怒られない程度にマイペースでやるようにしている。

うちの愚妻は人に気分良く仕事をさせるという術を知らない。そのくせNHKの「プロフェッショナル」とかテレビ大阪の「ガイアの夜明け」といった、人の上に立つような職業人を取り上げる番組を好んでみている。

実生活にはまったく役立っていないのだが。

2006年8月 8日 (火)

愚妻の不満

夏休みも、そろそろ折り返し地点だが。

愚妻の機嫌は、必ずしもいいとは言えない。

「夏休みっていう感じがしない」そうである。

何故かというと、「あんたはずっと出かけてる」ということらしい。

確かに、夏休みに入ってからこれまで、ほとんどは学校に行くか研修に行くかで、平日に家にいたのは1日だけである。

一応説明した。

あなたはこの3年、夏休みはずっと産休か育休だから知らないだろうが、最近は教師も夏休みに出勤しないといけなくなってきてるんだよ、と。昔とは違うんだよ、と。

そして、小さい子供を抱えていてもクラブ活動に毎日頑張っている先生もいる。そういうところの奥さんの中には、それでも夏休みはいつもより早く帰って来てくれると喜んでいる人だっていますよ、と。私は土日は家にいるではないか、と。

返事は要約すると、大体以下のような感じだった。

自宅研修というものがあるのだから、有効に使え。あんたは真面目すぎる。

そりゃクラブを指導するだけの力のある人は頑張ったらいいけど、あんたにはそれは無理なんだから、せめて家にいて私の役に立て。

「くそ真面目」「バカ正直」「教師に向いていない」というのは、妻が私を評する時の常套句である。

妻は教師の端くれであるにもかかわらず、「褒めて伸ばす」ということを知らないらしい。困った御仁である。

2006年7月30日 (日)

今度はDV発生!

愚妻がうちに届けられる市報を見て、いろいろな企画に参加しているのは、前にも触れたかもしれない。その影響で何となく市報を見ていたら、「人権の広場」というコーナーが目に入った。何でも人権研究集会というのをやったらしい。6つの分科会に分かれていて、そのうちの「女性」についての内容が大変ためになったので、ここに引用しておく。

以下引用↓

 夫婦関係にまつわる3つの寸劇を観て気になったセリフについてグループで話し合いました。
 DV(夫や恋人など身近な人からの暴力)がテーマの寸劇では、お金を自由に使うことができないことや、自由に家族や友人とつきあえないなども実はDVだという内容でした。講師からDV被害女性の苦しみや、女性が経済力を持つことのたいせつさなどについて説明がありました。
 妻が旅行に行きたくても、夫から家事や子育てを理由に反対されるという寸劇では、講師から男性の生活自立のたいせつさや、家事や子育てなどの無償労働をもっと認める必要性などについて説明がありました。
 夫が退職した後の夫婦関係を描いた寸劇では、夫が退職したらいっしょに暮らしたくないと思っている女性が多いということから、仲良くなるコツとして、お互いに自立して認め合い、感謝や愛情のことばをかけ合うことがたいせつであるという講師からの説明がありました。
 グループでの話し合いでも、男女の対等な関係について考えを深めることができました。

引用ここまで↑

私もついにDVの被害者ということになったらしい。
人権というものの偉大さを改めて感じた。

訴えたら、勝てますか?
旅行に行けたりとかしますか?

この講師の人に是非聞いてみたいものである。

2006年7月27日 (木)

ついに虐待発生?

今日は研修だった。
行き先は、とある市立博物館。

この予定を知った時から愚妻は目を輝かせ、これを機に一緒に行く気満々で「どこかお洒落で美味しいお店ないかな♪」等と言っていた。本当は友達がそこに住んでいるらしく、会おうと言っていたのだが相手が体調を崩してしまい、その案はあいにくボツになったのである。

それなら大人しく家にいればいいのに…。

長男は保育所に預け、次男を連れていざ出発。
妻が昔の記憶を頼りに見つけた中華料理店は、確かに美味しかった。今日の唯一の収穫である。

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私が午後の研修を受けている間、妻と次男は百貨店でウインドショッピングを楽しんでいたようである。あ、楽しんでいたのは妻だけか。

ところで、赤ん坊と外出した時に気を遣うのがオムツの交換である。トイレ等に交換台があればいいのだが、小さいお店ではなかなかそこまで行き届かない。この日は家を出た後、昼食を食べた店を出る時にまず一回交換。やはり場所がなく、店の入り口周辺で、ベビーカーの上で替えた。替えたのは私。

その後研修があり、終わったのが4時半過ぎ。長男が待つ保育所には遅くても6時頃には着かないとまずいので、かなりギリギリである。急いで百貨店で合流し、さあ出発というところで妻が、「うんこしてるみたいだから、オムツ替えたって~」と言う。「今したところなんか?」と聞くと、「さっきからしてたみたいなんやけど」と。

気付いてたんだったら、すぐに替えんかい!
時間がないことはわかっているくせに、こんな時にまで人にやらせることばかり考えよってからに…。

と思ったが、早く保育所に行かねばという焦りが先に立って、急いで近くのトイレで処理。百貨店なんだから、合流する前にベビー用の設備が整ったところで済ませておいてくれ!と言いたい。

そこから急いで帰って、保育所には何とか間に合った。

帰宅後、風呂に入れようというときに、次男がまたうんこをしていた。私はこの日ずっと次男の便処理をしているのでいい加減腹が立ってきて、妻に「いっぺんくらい、うんこ処理をしろ!」というようなことを柔らかい表現で言い残して、自分だけ風呂に入った。

妻がようやく次男の便処理をしてくれることを少しだけ期待してのことだったが…それは夢のまた夢だった。

妻が動く気配は全くなく、それと反比例するように次男は泣き叫ぶ。風呂から出てみると、妻は睡眠モードに入っており、次男が取り残されて泣いていた。

私は仕方なく、うんこの処理をして次男を風呂に入れ、寝かしつけた。

誰か、「子ども家庭センター」に通告してください。
ネグレクト(育児放棄)をしている母親がここにいると…。

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